アンダルシアの山羊飼い

1981年の春頃? 
語学学校で知り合ったイタリア人のルイサ、イラン人のソヘイラと3人で、アンダルシア地方をヒッチハイク旅行した時の写真だと思う。
旅行好きで旅慣れたルイサの発案だった。

旅の途中で見かけた山羊飼いたち。

ニッカボッカというんだっけ? 丈の短いズボンに鳥打帽? ハンチング?
こんな映画に出てくるような恰好をした山羊飼いたちが、フランコ没後未だ数年しか経ってなかった当時のスペインには残って居た。

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スペイン音楽?

1982年の夏の或る夜、バルセロナの街を歩いてたら、野外コンサートのリハーサルに行き当たった。
オーケストラの前で歌っていたのがモンセラット・カバジェという有名なオペラ歌手だった事、又その時アンコールとして唄われた曲が、バルセロナのあるカタルーニャ地方の民謡で、パブロ・カザルスのチェロ演奏でも有名な「小鳥の歌」だった事も、その時は知らなかった。

詳細は昔のブログで、「スペインの夏の夜の夢」という記事で紹介した事もあるので、興味のある方はお読みください。(前半は余り関係ない事書いてますが。)

スペイン音楽といえばフラメンコ…というイメージとはかなりかけ離れた、でもれっきとしたスペイン音楽。
でその Monserrat Caballé の動画は一杯あるのですが、やはりオペラのアリアとかが多く、これはちょっと見つからないかな…と思った頃に見つけた。
しかも会場が野外コンサートっぽい!(カタルーニャ州政府のパレスと出てるけど)

もうひとつ、彼女がクラシック以外の曲を歌った「オフィシャル・ビデオ」。
Mecano (メカノ)というグループの Hijo de la luna (月の子供)という曲です。

↓は本家本元のメカノ・バージョン。
1980年代、日本のJポップのように?スペイン独自の新しい音楽、ミュージシャンが色々出て来た中で、最も音楽性 (musicalidad) があると言われたグループだった。

(この記事は petitesmusiques@anonymes にも掲載しました。)

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ゴジおばさん 2

ゴジおばさんが息子(たち)の話をする時に、どの息子の事か分からないのは、主語がいつも「私の息子 (mi hijo) 」だからだ。まあ5人もいると一々何番目って言ってられないのかもしれないけれど。

長男: 軍隊にいるらしい。職業軍人?
次男: 電気技師 (electricista)
三男: ゴジおばさんが管理してるもう1軒の家 (apartamentos) に住んでるらしい。
五男: 銀行の奨学金を貰って働きながら勉強してる? 未だ10代半ばで両親と同居。

…あれ、そういえば四男の話って聞かなかったかも?
次男、三男、五男には会った事があるんだけど…

でも、近所に住んでたわけじゃないのにこれだけ知ってるっていう事は、ゴジおばさんが結構お喋りで、そして未だその下宿屋を始めたばかりだったので、なんやかんやで頻繁に会う機会があったからだと思う。

暫く人が住んでなかったらしいその家は、
ゴジおばさんの旦那さんが仕事の行き帰りに売りに出てるのを見つけて、
息子(多分長男)の為に買う決心をして、
でも実際に息子が住むまでは下宿屋にしてローンの返済に充てようと決めて、
ゴジおばさんは旦那さんとふたりで壁を塗り替えたり、カーテンを縫ったり…
まあ精一杯のリフォームをしたのですね。
でもバスタブを交換するとか、配管を新しくするとか、お金のかかる事はできない。
家具や家電類も前から家にあったものか、或いはセカンド・ハンドの中古品ばかり。

洗濯機を初めて使ったら浴室が水浸しになってしまい、ゴジおばさんに電話した。
ゴジおばさんは、ペーストみたいなものを持って現れ、トイレの近くの水が噴き出て来た栓をそれで固めた。
この下にはボテ・シンフォニコがあるんだよ…
家の下水は全部そこに集まって、そこから排水されるんだ…
あんた、洗濯機は止めたの? なんで止めなかったんだい?

一度洗濯し始めたものを途中で止めたくなかったってだけですけどね。
床から水は出て来るけれど、洗濯機の故障ではなさそうだし?
少なくとも動いているので、とりあえず洗濯だけは終えたい…
私はモップとバケツを用意して洗濯機の前に立ち、洗濯機が排水のサイクルに入る度に、そのボテ・シンフォニコからあふれ出して来る水を拭い取るというのを何回か繰り返して、とにかく洗濯を終えたのだった。
ゴジおばさんに電話したのは、多分その後だったのだろう。

そうかい、拭いたんだね、拭かないと下の階に洩れちゃって、大騒ぎになるからね…

かなり後になって分かったのは、ボテ・シンフォニコの栓というのは、そもそもボテ・シンフォニコに何かトラブルがあった時に開けて見る為についているもので… という事は、栓の周りはともかくとして、栓自体をペーストで固めちゃうっていうのは、ちょっとイレギュラーな修理法かと思うのですが…

洗濯機の排水サイクルというのは大量の水が一度に流れるから、排水管の詰まり予防にいいというような話を聞いたのも、ずっと後になってからだった。

ゴジおばさんがボテ・シンフォニコの栓をペーストで固めた後、洗濯機からの排水は無事家の排水管に流れて行くようになったらしく、浴室の床は二度と水浸しにならなかった。
洗濯機を使うたんびにモップを構えて待機しなきゃいけないんじゃないか…という不安はなくなりました。
暫く使われていなかった為に恐らく詰まり加減になってた排水管は、洗濯機の排水サイクルのお蔭で多少通りが良くなったんだろうか?
当時既に築何十年かの家だったから、遅かれ早かれ排水管は取り替えなくちゃいけなくなったと思いますが…

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タオル

お洒落な服や高いものはスペイン、でもトレーナーみたいな普段着や安いものは日本…
というような話をしたのは1990年代の後半だったろうか?

お洒落な服や高いものというのは、言ってみれば都心のデパートや専門店で買うようなもの。
例えばヨーロッパのブランド品なんかは日本よりスペインの方が安く買える。
ブランド品でなくても洋服やアクセサリー、化粧品等は、スペインからお土産に買って来るもの。
EC加入後のスペインでは輸入品も増えたし、スペインの国産品も一般にデザインや種類が豊富になった。
以前とは違って、日本に帰国した時に買って来よう、それもわざわざ都心ま出て行ってスペインに持って帰ろうと思うようなものは少なくなっていた。

ところが近くのイトーヨーカドーみたいな庶民的デパート? とか、そういうところで買えるものは、逆にスペインでは種類が少なくて高い気がしたのですね。
例えば家で着てるジャージーみたいなのは日本の方が安くて、同じ値段のスペイン製品と比べると品質がいいというような話。

そういう話をしていたら、ひとりが「でもタオル製品の類は絶対スペインの方がいい」と言い出した。
確かに元々が手拭文化の日本のタオルは一般に薄い。
景品のタオルなんて正に手拭並みにペラペラ…スペインじゃ安いタオルでも、ああいうのはないよね…安くても日本のタオルよりは分厚くてしっかりしている…

…これは家族や親戚へのお土産に結構いいんじゃないか? 日本にはないような大きなサイズのバスタオルをひとり一枚とか…と思いついて、次の帰国時に一枚買ってみた。帰国中に訪ねるつもりだった祖母へのお土産。
バスタオル一枚でトランクが半分いっぱいになった。…これは…みんなに一枚づつというのはちょっと無理ですね…

ちなみにスペインのバスタオルというのは日本のバスタオルより大きい。
日本でいうバスタオルは、むこうのシャワー・タオルくらいの大きさだろうか?

祖母はそれがタオルケットだと思った。
貰ったタオルにくるまって寝たら、私に触れてるような気がするからと電話で繰り返した。

大判のバスタオルをひとり一枚づつ、それぞれに合った色やデザインを探して…というお土産プロジェクトはあえなく頓挫…余りに実用的じゃないので自ら却下したのだった。

それでもスペインを引き揚げて日本に帰って来る時には、タオルを買って引っ越し荷物に入れた。
バスタオルと日本のスポーツタオルくらいの大きさのフェイスタオルをセットにして色違いで2組…お土産には不向きな事が分かったので、せめて自分用に買って行こうと思ったのだ。

日本のマンションの浴室や洗面室は、余り空気の通らないところにある事が多い。
お風呂はユニットバスで浴室全体がプラスチックで覆われているので、入浴後は換気扇を回さないと湯気がこもる。
タオルかけはスペインのように自分で選んで好きなところに付けるのではなく、決まったものが最初から付いている。
そこにタオルをかけてみると高さがギリギリ、タオルが大きすぎたのだった。
それでも意地で?使っていたら、ある時、あっという間にカビが生えた。
1階のその部屋では、入浴後に換気扇を回しても中々水分が全部取れるところまでは行かない。
暫くは換気扇を回して、後はドアを開けて乾燥させるようにしていたら、浴室からの湯気が知らず知らずの内にタオルについて、タオルを湿らせていたのだ。

で帰国後3年目にスペインに行った時、今度はシャワータオルを買って来ました。
フェースタオル(スペイン・サイズの)、そしてバスマットを同じ色で2組。
当時マンションは2階の部屋に移っていて、そこでは浴室ドアの外側にタオル掛けが付いていた。
低い位置に付いているのでシャワー・サイズでもギリギリ…
1階の部屋よりは乾燥し易かったけど、一度カビたら使えなくなるので、入浴後は浴室の中が乾くまでドアを開けないようにしていた。

そのスペイン製シャワータオルがそろそろ洗いざらしになって来た頃、イトーヨーカドーのセールでホテル仕様のタオルを買った。半端品の見切り市みたいなので、かなりお買い得。
厚手でスペインのタオルに引けを取らない。
フェースタオル(日本サイズの)と、ハンドタオルも来客用に同じ色で揃えて。

そのホテル仕様のバスタオルが、時々臭うようになったのですね。
洗濯はマメに、漂白剤も使っていたけれど、雨の多い日本では、思った時に洗濯できない事も多いから、雑菌が繁殖しちゃったか??

そして一度臭うようになったら、洗濯しても又すぐ臭う…

でもホテル仕様のタオルのセールはいつでもやってる訳じゃないので………で結局買ったのはイトーヨーカドーのオリジナル・シリーズ。
スペインのタオルに比べれば薄いけれど、日本のタオルとしてはまあまあの厚さで、色んな色とサイズが揃っている。
スペインのものやホテル仕様に比べるとスカスカ軽い感じだけれど、ない物ねだりをしてもしょうがないので、好きな色を選んで又2組。

そうやって言わば仕方なく買ったタオルがですね、使ってみると意外に良かったのです。
何故か? それは「乾き易い」から。
スカスカなのも目が粗いせいではなく、織り糸が細いからかも知れないと思う。

スカスカ軽いタオルの方が、日本の気候や家に合ってるというのは、なんとなく悲しくもあるのだけれど。
そして、それに気が付くのに帰国後12年を要したっていうのは…う~ん、何て言ったらいいんだろう…

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イビサの墓

アルバムと写真の整理ついでに、昔の写真を何枚かスキャンした。
でも本当の想い出は写真に撮ってない、或いは撮れなかった事にあるんだけど…

イビサ島に行った時の話は前にもちらっと書いた事ありますが(「イビサ島のおばあさん達」「運命論者」)、いわゆる観光地としてのイビサの写真は皆無です。

というのも、レンタ・カー借りてイザ海を目指すと、必ずと言っていいほど「侵入禁止」の柵に突き当たる。
ビーチの殆どはホテルやコンドミニアムのプライベート・ビーチとなっており、行けなかったのだ。
唯一海岸線まで達したところの浜辺に Bar が一軒あった。
季節外れのビーチには誰も居らず、Bar にも他の客は殆ど居なかった気がする。
どこもかしこもプライベート・ビーチで、地元の人は一体どこで泳ぐのか?と聞くと、地元の人だけが知ってる隠れた場所が未だ幾つかは残ってると言ってたけど。

海を目指すのを諦めて内陸部を走ってみると、そこにはヨーロッパのおとぎ話のような風景が広がっていた。

その中から、たまたま行き当った墓地の風景

一角にあったマンション形式の集合墓地

一角にあったマンション形式の集合墓地

門の付いた別の一角

門の付いた別の一角

墓地があったのは小高い丘のような場所で、そこからふもとを見下ろす

墓地があったのは小高い丘のような場所で、そこからふもとを見下ろす

アーチ越しに見える風景がどれ位写るか分からなかったけど、ダメ元で撮ってみたら写ってた。
心にも残って写真にも撮れた数少ない貴重なシーンのひとつです。。

マドリッドからイビサ島のホテルを予約していた。
イタリア人で旅上手のルイサはありきたりのホテルには余り魅力を感じてなかったみたいだけど…

ルイサはバルセロナから船で先に着いていて、会った時に先ず言ったのが、「ホテルの替りに古いオスタル(Hostal)を見つけたんだけど、もし良かったらそこに泊まらない?」

その名も El Corsario (海賊)。
Ibiza9
ホテルの快適さはないけど、ホテルより安いし、ずっと雰囲気がある。異論はなかった。

ホテルの予約をキャンセルし、同じ飛行機の便で着かなかった荷物(上記「運命論者」参照)の届け先を変更して落ち着いた石造り(多分)のオスタル El Corsario とルイサ。

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ミステリーのテーマ(音楽)

ケーブル・テレビで一番よく見るチャンネルはミステリ・チャンネルって前にも書いたっけ?
ヨーロッパのミステリーを結構やってくれるからですが。

で前から思ってるんだけど、アメリカのミステリーとヨーロッパのミステリーじゃ、ドラマ自体の雰囲気もさる事ながら、テーマ音楽の雰囲気が違ってるんですね。
当然といえば当然なのかもしれないけど。

古いところでは、ポワロの音楽とか、何回聞いても面白い!
最近のお気に入りはヴェラのテーマとモンタルバーノのテーマ。
モンタルバーノのテーマなんて、展開が面白すぎて個人的には感嘆の領域です、うん…

ミステリ・チャンネルは見られないけど、音楽だけでもちょっと聞いてみたいと思う人もいるかもしれないので、探してみたら、こんなのがあった。
ドラマの中ではこんな風に通して全部聞ける事はないので、探した本人にとっても新鮮でした。

*気になったんで、ドラマのタイトルに出てくる作曲家の名前をメモって検索してみた。
 Franco Piersanti …当管理人とほぼ同い年。ニーノ・ロータのアシスタントをしてた事もあるらしい。

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グラニー・スミス

アップルパイの専門店グラニー・スミスっていうのがテレビに出て来た。
グラニー・スミスっていうのはリンゴの種類なんだけど、そういう説明はなかったな…

スペインでいつも買ってた酸っぱいリンゴの名前です。

日本では酸っぱいリンゴを買うのが益々難しくなって来た気がする。
前のブログで書いた「酸っぱいリンゴが好きなのに」という記事、ブログを閉鎖した後もコンスタントにアクセスがあって、時々記事ランキングの上位に出て来たりする。
日本にも酸っぱいリンゴのファン、結構居ると思うんですけどね?
農家にとっては作りにくいような、何か理由があるんだろうか??

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パネルの家

年末年始に休暇を取って日本に帰って来た時、実家の近所に次々と建つ新しい家が、なんか外見はお洒落な洋風なんだけど素材感がスペインとは全然違ってる、所謂新建材ばっかりなんだと強く感じるようになったのは、多分1990年頃だ。

物心ついた頃にはそういう家が周りに一杯だった若い世代、そして集合住宅と言えば日本のマンションや団地しか知らない人たちがヨーロッパに行って暫く生活すると、
往々にして水漏れその他の故障やトラブルを経験して、日本じゃこんな事考えられない、こっちの家ってどうしてこうなの? と思うらしい。
そういうブログを幾つかを読んだ。
経済大国になる前の日本を余り知らない世代でもある訳で、
誰でも自分の知ってる社会を基準にして他の社会を判断するのはまあ当然なんだけど…

私が子供の頃に住んでた日本の田舎の古い社宅は、雨漏りがして、夜になると天井裏を鼠が走った。
昭和30年代の話だから、それらの社宅が建てられたのは多分戦前。
でも屋根は本瓦で壁は土壁、窓には全部雨戸が付いてたんだ。

話が逸れた。
現代日本からヨーロッパに行って、むこうの古い家のトラブルに呆れる人たちに、日本の今の家は水漏れする程古くなるまで持たないだけで、ヨーロッパの古い家の方が家としてはずっと優れているのだと説明するのは難しいですね。
少なくとも東日本大震災の少し前くらいまでは、いくら説明しても余り共感して貰えなかったと思う。

そういう若い世代の海外経験者とブログで「三匹の子ブタ」の話をした事がある。
厳密には三匹の子ブタの家の話で、レンガの家の方が木や藁で作った家よりいいというのは西洋人の偏見で、日本の気候風土には木の家が合ってるんだという彼女に、でも木の家ってどういうのか、考えてみて欲しかった。

確かに日本の伝統的家屋は木造で、田舎には藁じゃないけど茅葺の屋根があった。
でもそういう家の壁は土壁だった事を、ビニールクロスに覆われた今の家に住む若い世代は知ってるだろうか?

そしてヨーロッパの古い集合住宅は、コンクリート・スラブではなくてレンガを積み上げた表面を石膏で覆った壁(スペインでは、その上に漆喰系の塗料が塗られている事が多い)で出来ているという事も、多くの日本人は知らないと思う。
今の日本の家は、言ってみればパネルの家だ。
一見木や石やレンガ、時には塗り壁に見えるパネルで覆われた家。

近所の住宅地では築30年~40年?と思われる家が壊されては新しいパネルの家が建つ。
それも元は1軒だった土地に、庭の殆どない小さな家が何軒か建つのが普通になりつつある。

少し前にテレビで、日本全国に増加する空家の問題をどうするかってやってたけど、今空家になってる家は新建材が主流になる前に建てられている。
それでも40年経つと日本の家は壊して建てなおすしかないか、リフォームするより新しく建てた方がいい状態になる。
それだけのお金と労力をかけられない空家が全国にいっぱいあるらしい。

今続々と建てられてるちっちゃなパネルの家は、30年後にはどうなってるんだろう?

オーバーラップ:
日本のマンション七つの大罪
レンガ造りの家 
フローリングって何語?
温水暖房
結露
三びきの子ブタの家
スペインの水道屋(フォンタネーロ)さん

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朝ドラ

4月からの朝ドラが村岡花子っていう予告を見て思い立ち、アマゾンで「村岡花子」って検索してみたら案の定、彼女が訳した本が続々… それが「近日発売」「予約可」っていうのばかりで…しかも「復刊」だって。
で今度は「赤毛のアン」で検索したら、「近日発売」「予約可」の村岡花子訳がズラッと並んだ後に、今まで売られていた他の訳者の本がチラホラ出て来る。
以前検索した時には村岡花子訳なんて出て来なかったと思うのに…そう、検索したんですよ、他にも昔読んだ本が今はどうなってるのか確かめたかったから。
絶対と言っていい程の名訳があるのに、それを絶版にしてしまって、他の訳で出してた理由は何ですか?
過去の名訳をコツコツとでも増刷してたら、慌てて復刊しなくても良かったんじゃないでしょうかね??

村岡花子はたまたま?朝ドラで取り上げられて復刊。
でも他にも「昔の名訳」があった筈。
新しい訳が一概に悪いとは言えないけれど(読んでないし)、名訳と言われるものを打ち消してまで出さなくてはいけないような素晴らしい翻訳って、そう簡単にできるもんじゃあ、ないんじゃないですかね?

このあたりに、前の「メディアの機能」で言いたかった出版社のあり方の問題や、著作権の問題も絡んでると思うんですけど、分析めんどくさいので今日は省略。
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子供の頃から大人になるまで、何度も何度も読み返した村岡花子訳の「秘密の花園」。
ちなみに、この本のあとがきに原作から省かれた部分があると書いてあったので、大学時代に文庫本で全訳を見つけて読んでみたけど、どっかの大学の先生が学生に分担して訳させたのか?と思うような訳で、読書の醍醐味が全然味わえなかった。
記憶が確かではないけど、読み続ける事ができず、「原作から省かれた部分」っていうのは結局分からずじまいで終わった気がする。
村岡花子自身の「全訳」がどこかにあるのなら読んでみたい。
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そしてこちら(→巌窟王の左) 村岡花子訳「赤毛のアン」シリーズの2冊(出版社&全集が違ってますが)。
「秘密の花園」に比べれば読み返した回数は少ないけれど、処分しないで持ってたよ。

他に「小公子」「小公女」のどちらかもあった気がするけど…これは捨てちゃったみたいですね。古くなった児童書って、ブックオフでも引き取ってくれなかったし…

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メディアの機能

「全聾の作曲家」が実はゴースト・ライターを使ってたっていう事件。
一番みっともないのはメディアじゃないのか?

NHKが「お詫び」で説明していた中に、
「全聾の作曲家」の作品についてクラシックの専門家に確認したところ、
評価は分かれていたというようなのがあった。
音楽ドキュメンタリーを作るのに、その音楽の良し悪しが分からなくて、
専門家に意見を聞いたって事ですか?
出発点が音楽じゃないって、自ら露呈したようなもんですね。

芸術作品の良し悪しなんて本来主観的なもので、自分が好きならいい訳で、
好きか嫌いか分からないような、又好き嫌いを感じるだけの感性がないなら、
ドキュメンタリーで取り上げたりしない方がいいんでない?
まあ、「全聾」という事で取り上げたのは明らかだと思うけど。

仮に「全聾の作曲家」っていう肩書がなかったなら、
CDが売れる事も、コンクールで賞を取る事も、
ドキュメンタリーが作られる事もなかったんだとしたら、
それは「優れた作品やクリエイターを発掘し、育てる、そして世に知らしめる」という
メディア本来の機能が果たされなかった証しに他ならない。

まあこれは、あのにもすが勝手に「メディア本来の機能」(のひとつ)って思ってるもので…
例えば出版社なら、売れそうなストーリーを付けて読者を乗せてベスト・セラーを作り出すのではなく、これは読んで欲しいという作品を、それを読みたいと思ってる人に地道に届けるとか、音楽プロダクションならアイドルを作って売り出すのではなく、才能あるミュージシャンを見つけて育てるとか、そういった真の媒体としての機能です。

でそうじゃなくて、これはウケる、売れるって事で、言ってみれば同じペテンに乗って一儲けしようとしてたプロダクションだか楽譜出版社だかが、ペテンがばれて儲け話がなくなってしまったからって損害賠償を請求するなんて話が最初の頃あったけど(…あれどうなったの?)、同じ穴のムジナが何うわ言言ってんのかって感じしません?

ついでに言うと、媒体は「著作権料」などで儲けるべきではなく、本来の機能を果たしたその売上げで成り立つべきです。
そうじゃないから、こういうペテンに乗っちゃうじゃないの?
その為には著作権は、あくまでも著作を作った人に限るべきじゃないかと思うけど、この話は長くなるので、今日は置いとこう。

あと、コンクールで賞を上げちゃったひとっていうのもみっともなくない?
彼の作曲とされていた音楽が本当に良かったんなら、
作者が詐欺師だったからって、作品に対する評価は変わらない筈なのでは?

メディア以外の人間で、
音楽なんて実は分からないのに「全聾」って言う事でCD買った人とか、
或いは賞を取ったからとか、批評を読んで買ってみたとか、
そういう人もいるんですかね?

もし音楽が好きで買ったなら、たとえ作者が違ってもそのCDは無駄にならない。
仮に音楽ではなくて、
「耳が聞こえない作曲家が作った」とか「ヒロシマをテーマにした」っていう
音楽の本質とは関係ないものに惹かれて買ったとしても、
買う決心をしたのは自分なんだから、それでいいんじゃないだろうか?

テレビのニュース・ショーとか見てると、メディア側の反省もあるにはあるようだけど、それは簡単に騙されてしまった事に対する反省にとどまってる気もする。
「発掘し、育て、広める」という事を本来の機能と思ってなかったら、まあそうなるよね…

ところでメディアがメディア本来の機能を果たしていないという事と
この準備中のブログに「パリ・オペラ座バレエ学校 学費」っていう検索ワードで辿り着く人が居るって事は、
実は繋がっていると思うわけで、
それは簡単に言うと、日本の社会は才能や資質を「見出す」力が弱いという事、
メディアだけじゃなくて、学校や他の教育機関も含めた社会の仕組みみたいなものが、
優れた資質や才能を「見出して」「育てる」ように出来てないんじゃないかという事なんですが…

そしたらねえ、今日「全聾の作曲家」が音大生を第二のゴースト・ライターに仕立てようとしてたんじゃないか? って話が出て来た…

…あれま、自分勝手に繋げてた話が繋がっちゃったよって。
でもこれも今日は置いといて、又別の機会にしますです。

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